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2018年01月31日更新
著者インタビュー第3弾はサントリーのワイン醸造家、渡辺直樹さんです。渡辺さんは本書を通して、あるアイディアが浮かんだと話してくれました。またワイン造りに携わったきっかけや、印象に残っているワイン、アジアのマーケットで感じたことなど、日本を代表するワイナリーの醸造家ならではの視点を感じさせる、さまざまなお話をお伺いしました。
渡辺直樹(わたなべ・なおき)さん
フランス国家認定醸造士。1988年、サントリーに入社。1989年よりサントリー「登美の丘ワイナリー」にて栽培・醸造技術開発を担当。風土を引き出すブドウ栽培・ワイン醸造を実践し、サントリーのフラッグシップワイン登美(赤、白)、登美の丘(赤、白、甲州)などの品質向上を実現。2014年よりワイナリー長。
----今回「日本のワインアロマホイール」の作成に参加されたのはなぜでしょうか?
単純に、面白いなと思ったのがひとつの理由です。東原先生も本の中で説明していますが、やはり従来のアロマホイールは、日本人にとって馴染みのない香りもあり、分類の仕方も少しフィットしないところがあるので、私たちが感じているワインを説明する言葉をまとめることは、面白い試みだと思いました。やってみて実際にとても面白かったです。
----本を手に取ってみていかがですか?
ワイナリーのショップのソムリエから言われたのが、「ミステリーの解き明かしのような、手品の種明かしのような、そういう感覚で面白い」と。ハウツー的なワインの本とは違うし、情景だけを描くようなワインの本でもない。例えるなら、何かの機械の蓋を開けて、中の仕組みがどうなっているかを見るような、そういう面白さがあるのではないかと思いますね。
それから、本当によくここに辿り着いたなと思ったのが、香りの一覧(「付録の『アロマカード』で表現できる香り一覧27種類」)です。これは12枚のアロマカード(それぞれに単一のにおい物質が付いている)を混ぜて嗅ぐことで、柑橘や花などの27種類の香りになるという、その組み合わせが書いてあります。カードのにおい物質はどれもワインに含まれているものですから、まさにワインの中で起きていることが、ここに書かれているんですよね。
こうした、におい物質と香りの関係は、香料会社の人からすれば、当たり前のことかもしれないですし、また私たち造り手からすれば、ひとつひとつのにおい物質について確かに分かっていますが、ワインのにおい物質の組み合わせで、こうした香りを感じられることを著したものは、今まで、あるようで無かったのではないかと思います。途中から、この一覧表の考え方で、今の甲州ワインを表現できないかと思い付いて、それが自分なりにとても面白い発見だと感じています。
----それは、どういうことでしょうか?
ベーシックな甲州の香りの要素というのは、この一覧表で見ると、主にアルコール類とエステル類とケトン類とフェノール類です。新酒はエステル類がやや強めで、華やかな印象。ブドウが熟してくると、β-ダマセノン(カードH)に代表されるケトン類が増えると感じています。またソーヴィニヨンブランのような香りがする甲州ワインがありますが、そうしたワインは、これらのベーシックな要素に加えて、チオール類の3MH(カードC)がちょっとだけある。すると、それが香りのキーになって、ソーヴィニヨンブランに近い香りがする甲州ワインになるわけです。
今、私は「山梨県ワイン酒造組合」の技術部会長をやっていまして、そこで甲州の特徴的な系統のブドウを選ぶ、「優良系統選抜」ということをしています。現在7系統を評価しており、そのうちの3系統はすでに推奨系統となり、今後、県が苗木を増やして、皆さんが買える体制を整えていくという段階です。その3つは大まかにいうと、小粒系で小房、中庸な房、大きな房という違いがあります。小粒系の甲州はうまくいけば、アロマの凝縮感のあるワインが出来るのではないかと期待しています。大きな房は量が多いからか、少しブドウの成熟が遅いからか、柑橘系の香りがありながら少し柔らかいニュアンスのワインになります。中庸のブドウは今の多くの甲州ワインに感じられるタイプで、柑橘系であり、フレッシュでフルーティなワインに仕上がります。このように系統の違いで、出来上がるワインの特徴も異なります。
こうした系統ごとの香りの違いについても、この一覧表の考え方で表現できるのではないか? というのが私の仮説です。例えば小粒系の甲州は果皮の比率が高いので、フェノリックなワインができる。フェノリックな要素というのは一覧のフェノール類という項目にあたります。また少し早めに熟すので、ケトン類のβダマセノンなどが多いのではないかと考えています。
----なるほど! そうした使い方も考えられるのですね。
日本のワインアロマホイールについてはいかがでしょうか?
このアロマホイールもいいのですが、本文に掲載している、品種の特徴を表すと思われる10の香り(P62)が、すごく有効だなと思いました。例えば、弊社の「ジャパンプレミアム」の甲州であれば、スダチ、ライム、吟醸香や日本酒あたりがあるとか、「登美の丘」の甲州であれば、白桃やバラ、少しリンゴのコンポートがあって、それにやや柑橘が感じられるとか、そういうふうに具体的にワインを説明したり、共有したり、理解を深めたりできる。すでに選ばれている言葉を使って、どう表現するか、というのは早いですよね。まずは今年のワインをテイスティングするとき、醸造のチーム数人で使ってみたいと思っています。
----続いて、渡辺さんご自身のお話をお聞かせください。
そもそもワイン造りを志したのは、なぜですか?
遡れば小学校1年生の頃、作文にお酒の話を書いていました。一日が終わって、父親がビールを飲んでくつろいでいる。お酒を飲んでくつろいで、翌日また働く、その姿を見て、お酒は人を豊かにするものだなと思ったんです。もちろん、嗜好品以外にも、そういうものは世の中にたくさんあると思いますが、まずは身近な人が、父親や兄が喜ぶようなものを自分が造ったら面白いなと思いました。
父親はビールや日本酒も飲んだのですが、高校の頃はウイスキーを楽しんでいるイメージが強くて、進路を決めるときに、ウイスキーづくりに関係するような学部に入ろうと考えて、東北大学農学部を選びました。大学に入ってからは、アメリカンフットボールに夢中で、そのことをすっかり忘れていたんですけれど(笑)、就職活動をする4年生になって、また思い出して。だから最初は実はワインではなくて、ウイスキーがつくりたいと思ってサントリーに入ったんです。でも入社後、最初に「君、ワイン」って言われて。ワインは本当にそこからですね。でも、もともと何かを豊かにするものを目指していたので、そういう意味でも、ウイスキー以上にワインは面白いと感じています。
----最初からワインを造るお仕事だったのですか?
1988年に入社して、最初は研究所に配属されたのですが、その間ワイナリーで2カ月間実習をして、そのまま残る形でワイナリー勤務になりました。途中1992年から95年までボルドー大学の醸造家のコースに行って、そこで勉強したんです。そのときは本当に勉強しました。「シャトー・ド・フューザル」で2シーズン、「シャトー・ラグランジュ」で1シーズンを経験して、残りの1年はデュボルデュー先生の研究室で、まさに本書にも掲載している還元臭の研究をしていました。帰国後は、ほぼずっとワイナリー勤務です。
----ボルドー大学の一番の思い出、香りに関する記憶などはありますか?
毎日が目からウロコの日々でした。当時のサントリー登美の丘ワイナリーには、自分が疑問に思うことを解決してくれる人がいなかったので、ボルドー大学に行って、どんどん教えてもらって、さまざまな疑問について実際に「ああ、こういうことだったのか」と体感することもできました。
香りの記憶で言えば、やっぱり日本の空気とは香りが違いますよね。街なかの香りも違うけれど、近くに森があって、川が流れていて、......とくに秋にキノコ採りにいった時の森の空気は、日本と違うなと思いました。あとは今思えば、何故かワインがとてもおいしく感じました。あの時、自分で造ったワインも、そうじゃないワインも含めて、華やかに感じましたね。その辺の秘密も本書に東原先生が書いていましたが(P28)、そういうことかなと思いましたね。
----今現在の、渡辺さんのワイナリーでのお仕事をお聞かせください。
所長として、登美の丘ワイナリーと塩尻ワイナリーの両方の運営を担当しています。ワイナリーは、ここ3〜4年で大きく若返って、今20〜30代のすごく若いチームなんです。
基本的にチームの皆でプロセスを共有しながら、自分たちのスタイルを継承していこうという思想なので、私ひとりで何でも決めないようにしています。栽培にしても醸造にしても、彼らそれぞれに役割を与えて、実践していくなかで、話合って合意して、チームで味わいを造っていくんです。そして、もしそれぞれのタイミングで、大事なポイントが抜けていれば、具体的な方法を提案して、それがなぜであるか、歴史的な背景や、ドメーヌ バロン ド ロートシルト[ラフィット]社とのコラボレーションもしているので、それによって得られたアドバイスなどを含めて話をします。
私は、30年近くこの土地でワイン造りをしてきましたが、若手からは見えないことというのが、確かにあるんです。でも彼らが気付くことが大事なので、気が付けば言わないし、気が付かなくて、それが味わいに影響するときにはきちんと話します。そうして少しずつ話しながら、ふたつのワイナリーを動かしています。
----今後、どういうワインを造っていきたいかというのも、チームの皆さんで考えて決めるのですか?
風土、土地の特徴、品種の特徴を引き出したワインであるということ。それが世界の人たちに感動を与えるワインだ。----これは、我々の明確なビジョンなので、今後もそれは変わりません。
もちろんそれは、おいしいということですよね。そして自分たち、もしくは山梨のスタイルを浸透させていって、世界の人がワインを飲んだ瞬間に「これはボルドーだよね」、「ブルゴーニュだよね」と言うのと同じように、いつか「あ、山梨だね」と言われるようなレベルになっていきたいという思いがあります。
----海外でも、もう発売されているのですよね?
そうですね、今自分たちのワインをシンガポール、香港、マカオのマーケットで販売を開始していて、毎年、各地にプロモーションに訪れています。いずれの国も非常に好意的です。とくに和食などの繊細な料理をうまく引き立てるということに対して共感を得ています。あとはアジア特有の味覚の共通性を、ワインを通して感じます。ヨーロッパにワインを持って行ったときと違って、感覚がとても近いなと思います。
----どういうところでしょうか?
分かりやすいのは、マスカット・べーリーAですね。このブドウのワインは、ヨーロッパ人にとっては、どうやら異質と感じる香りを含んでいるようです。アジアの風土で生きている人たちというのは、このマスカット・べーリーAの甘さや、少し熟成したときの醬油っぽい感じに対して、とても好意的です。本書のアロマホイールでも大きなポイントかもしれないですが、これは間違いなく「風土」であると思います。アジアのマーケットは難しい部分もありますけれども、行くたびに面白いなと思います。
----渡辺さんの考える、日本ワインの良さとは?
食を引き立てる良さであるとか、折り目正しさ、ちょっと奥ゆかしさがあることが、日本ワインの良さではないでしょうか。突出してきて、すべてを占領してしまうような、そういうワインではありません。強さや華やかさよりも、言うなれば、優しさ柔らかさの世界に強みがあると思います。
----渡辺さんの夢を教えてください。
そうですねぇ、事前に質問を聞いて考えたのですが、一日、一日、大事に過ごすことが必要だなと思っています。自分と、家族も含めた自分に関連のある人にとって、積み重なっていく日々が豊かであるといいなと思います。そして一方で、冒険したい気持ちもあります。今、52歳ですけど、おそらくサントリー社員としてワイン造りができるのは、あと10年ちょっとです。弊社はグローバルな会社ですから、チャンスがあれば、日本以外のまったく違うフィールドで、新しいワイン造りに挑戦したいという気持ちもあります。
----最近飲んで一番おいしかった、または印象に残っているワインはありますか?
単純に非の打ち所が無いとか、とても華やかだとか、そういうワインもおいしいと思いますし、感動しないわけではないのですが、印象に残るワインというのは、ある「シーンが思い浮かぶ」ワインです。
最近では、ちょうど昨日飲んだ「シャトーオーシエール」の2014年。これはドメーヌ バロン ド ロートシルト[ラフィット]社が経営している南仏のワイナリーのワインです。弊社は2008年からラフィットとコラボレーションをしていますが、その最初のコンタクトの場所が、シャトーオーシエールでした。ディスカッション用に自分たちのワインを携えて、醸造責任者のエリック・コレールさんを訪ねて行ったのですが、その時に彼が「ラフィットのスピリットというのは、凝縮感、エレガント、それからフィネスなんだ」と言って、畑の案内をしてくれて、一緒にさまざまなワインを飲んだのです。
それで昨日、「シャトーオーシエール」のワインを開けたのですが、まさにその凝縮感やフィネスが感じられて、それと同時に、2008年に行った時の醸造所の風景やコレールの顔、ホテルで最初に会ったときのことが、まるで記憶の栓をぽんっと抜いて、溜まっていたものが一気にあふれ出すように浮かんできました。ワインを造っているためか、相当ワインを飲んでいるからか、そういうワインと年間のうちに数本出会うのですが、この仕事をやっていてよかったと思う瞬間です。ちなみに彼とは、その後もずっと長い付き合いで、彼らが日本に来て一緒に「ジャパンプレミアム デュオ ダミ スペシャル アッサンブラージュ」というワインも造っています。
●渡辺さんの「おすすめの本」紹介
『ペンギン・ハイウェイ』
(森見 登美彦 著/角川書店)
青山君という小学生が、さまざまな冒険をしながら謎を解き明かしていく、少しミステリーの要素もあるファンタジー小説です。読んでいると、映像が頭に浮かんで、もの凄くリアルに感じます。ワインの話ではないですが、香りも浮かびます。例えば森に入っていくときの香り、そして出てきたときのコンクリートのにおい。小学校の頃の自分の同じような体験が、映像や香りとともに、蘇ってくるように感じる本です。
【好評発売中!】
『日本のワインアロマホイール&アロマカードで分かる! ワインの香り』
(東原和成 佐々木佳津子 渡辺直樹 鹿取みゆき 大越基裕 著)